かみ合わない
[No.544] 2009/07/05 (Sun) 17:49
以前わたしが腹をたてたパートさんがいるのですが
会話がかみあいません。
かぴばら 「おはようございま〜す。」
パートさん 「こんにちは〜。」
かぴばら 「お疲れ様で〜す。」
パートさん 「おはようございま〜す。」
かぴばら 「おねがいしま〜す。」
パートさん 「ありがとうございま〜す。」
なんか、丁寧なんだけど
小さくイラッとする
かぴばら姉さんです。
会話がかみあいません。
かぴばら 「おはようございま〜す。」
パートさん 「こんにちは〜。」
かぴばら 「お疲れ様で〜す。」
パートさん 「おはようございま〜す。」
かぴばら 「おねがいしま〜す。」
パートさん 「ありがとうございま〜す。」
なんか、丁寧なんだけど
小さくイラッとする
かぴばら姉さんです。
八百屋のみっちゃん
[No.543] 2009/07/05 (Sun) 12:53
7月7日は、八百屋のみっちゃんの命日です。
八百屋のみっちゃんは、小学校の同級生の男の子です。
何度か過去の日記にも書きましたが、そうそう仲がよかったという記憶はありません。
小学生の頃、私は一ヶ月に一度は必ず風邪なり体調を崩して学校を休んでいました。
風邪が長引き、一週間ほど学校を休んだことがあったのですが、
そのとき、クラスの代表数名が、お見舞いに家に来てくれたのです。
その中に八百屋のみっちゃんもいました。
今思えば、みっちゃんの家に皆で遊びに行ったような記憶もあります。
それなりに仲良く遊んでいたのだと思います。
クラスのお友達は、お見舞いに袋にお菓子を詰めて持ってきてくれました。
コタツにはいって、それはもう内気だった私はエヘラエヘラと笑うだけでした。
その時に、足をつんつんと、つつかれたので、「ん?」と思って
コタツの布団をそっとめくってみると、隣に座っていた八百屋のみっちゃんが
こっそりと知らん顔したまま、お菓子を私に手渡そうとしていたのです。
わたしはそのとき、なんでこっそりお菓子を渡そうとしているのか
よく理解できなかったのだけど、照れたみっちゃんの顔を見て
「はっ!」とした、その瞬間を今でもよく覚えています。
みっちゃんが、わたしに好意を抱いてくれている。
のかもしれないという、淡い気持が生まれた瞬間。
みっちゃんの照れた顔。あの顔は、一生忘れられない。
この話は多分、小学校3年生くらいの時。
その後、みっちゃんは頭に腫瘍が出来て
小学校6年生で亡くなりました。
途中、身体の調子がよくなって、運動会に来た時は
薬で顔がパンパンにむくんで、青白い顔をしていました。
みっちゃんが亡くなったことを校内放送で
校長先生が皆に知らせているとき
私達クラスの生徒は、他のことで大笑いしていました。
ちょうど担任の先生がいなくて、皆でふざけていたのです。
そうしたら、その笑い声をきいて、隣のクラスの
先生になりたてだった若い男の島田先生が
「友達が亡くなったのに、
お前ら何を笑ってるんだ!」
と、怒鳴り込んできたのです。
すぐに私達は、しーんと静かになりましたが
島田先生が、なんでそんなに怒るのか、
わかるけど、わからないような、そんな遠い
実感のわかない気持でいたことを覚えています。
友達が亡くなったことも
それがどれだけ悲しいことなのかも
笑っていたことを、島田先生がとても怒ったことも
どうしてだか、わからなかったのです。
お葬式の時、みっちゃんの顔は
大きな黒ぶちの枠の中におさめられていました。
泣いている子もいたけど、それよりもわたしは
お焼香の仕方がよくわからないことを
心配することでいっぱいでした。
7月7日が近くなると、
いつも八百屋のみっちゃんを思い出します。
今ならば、友達が亡くなったことが
どれだけ悲しいことなのかも、
笑っていたことを、島田先生がとても怒ったことも
どうしてなのか、あの頃よりは、わかります。
わたしは、なんにもわかってない
子供だったんだな。ってことも。
若いって、愚かだ。
でも、きっと必要なことなんだ。
今、私がかかわっている若い人達も
いつかこうしてあの頃の自分を
振り返る日が来るでしょう。
あの頃、あんなに怒られたけど
それはこうゆうことだったんだなと
愚かな自分につきあってくれた
たくさんの大人がいたんだなと、
何十年後かに、気づけたら
いい人生だと思う。
八百屋のみっちゃんは、小学校の同級生の男の子です。
何度か過去の日記にも書きましたが、そうそう仲がよかったという記憶はありません。
小学生の頃、私は一ヶ月に一度は必ず風邪なり体調を崩して学校を休んでいました。
風邪が長引き、一週間ほど学校を休んだことがあったのですが、
そのとき、クラスの代表数名が、お見舞いに家に来てくれたのです。
その中に八百屋のみっちゃんもいました。
今思えば、みっちゃんの家に皆で遊びに行ったような記憶もあります。
それなりに仲良く遊んでいたのだと思います。
クラスのお友達は、お見舞いに袋にお菓子を詰めて持ってきてくれました。
コタツにはいって、それはもう内気だった私はエヘラエヘラと笑うだけでした。
その時に、足をつんつんと、つつかれたので、「ん?」と思って
コタツの布団をそっとめくってみると、隣に座っていた八百屋のみっちゃんが
こっそりと知らん顔したまま、お菓子を私に手渡そうとしていたのです。
わたしはそのとき、なんでこっそりお菓子を渡そうとしているのか
よく理解できなかったのだけど、照れたみっちゃんの顔を見て
「はっ!」とした、その瞬間を今でもよく覚えています。
みっちゃんが、わたしに好意を抱いてくれている。
のかもしれないという、淡い気持が生まれた瞬間。
みっちゃんの照れた顔。あの顔は、一生忘れられない。
この話は多分、小学校3年生くらいの時。
その後、みっちゃんは頭に腫瘍が出来て
小学校6年生で亡くなりました。
途中、身体の調子がよくなって、運動会に来た時は
薬で顔がパンパンにむくんで、青白い顔をしていました。
みっちゃんが亡くなったことを校内放送で
校長先生が皆に知らせているとき
私達クラスの生徒は、他のことで大笑いしていました。
ちょうど担任の先生がいなくて、皆でふざけていたのです。
そうしたら、その笑い声をきいて、隣のクラスの
先生になりたてだった若い男の島田先生が
「友達が亡くなったのに、
お前ら何を笑ってるんだ!」
と、怒鳴り込んできたのです。
すぐに私達は、しーんと静かになりましたが
島田先生が、なんでそんなに怒るのか、
わかるけど、わからないような、そんな遠い
実感のわかない気持でいたことを覚えています。
友達が亡くなったことも
それがどれだけ悲しいことなのかも
笑っていたことを、島田先生がとても怒ったことも
どうしてだか、わからなかったのです。
お葬式の時、みっちゃんの顔は
大きな黒ぶちの枠の中におさめられていました。
泣いている子もいたけど、それよりもわたしは
お焼香の仕方がよくわからないことを
心配することでいっぱいでした。
7月7日が近くなると、
いつも八百屋のみっちゃんを思い出します。
今ならば、友達が亡くなったことが
どれだけ悲しいことなのかも、
笑っていたことを、島田先生がとても怒ったことも
どうしてなのか、あの頃よりは、わかります。
わたしは、なんにもわかってない
子供だったんだな。ってことも。
若いって、愚かだ。
でも、きっと必要なことなんだ。
今、私がかかわっている若い人達も
いつかこうしてあの頃の自分を
振り返る日が来るでしょう。
あの頃、あんなに怒られたけど
それはこうゆうことだったんだなと
愚かな自分につきあってくれた
たくさんの大人がいたんだなと、
何十年後かに、気づけたら
いい人生だと思う。
三十三間堂
[No.542] 2009/07/04 (Sat) 21:56
あぁ・・こんな夜中に腹がいっぱいになっています。
ゲフッ。腹苦しい。
その子の今の、ありのままを尊重したいという気持も存在している。
仕事じゃなければ、いくらだって「ご自由にどうぞ」なのだ。
それに、人を注意したりするのは、自分には不向きだといつも思う。
それなりに、してるけど、とても生ぬるい。
ちゃんとルールがあるのを知っているのに
平気で素通りして、ルールを破る子はたくさんいます。
普段から交流をして、あれやこれやお世話をしてる子でも
平気で無視していきます。
「馬鹿にされてるのかな。」「なめられてるのかな。」と
思うけど、実際そんなことすら、感じてもいないんだろうな。
一瞬にして、私達は空気のような存在になってしまうのだろうなと思います。
そんなもんだな、きっと。
でもなんだろな。。。。
愛とか優しさとかを、与える、与えようと
してたときは、とてもしんどい。
与えた分の、反応を期待してしまうから。
ちゃんと返ってくることもあるけれど、
返ってこないことのほうが多い。
愛とか優しさとかは、与えるというよりかは
存在しているほうがいいのかもしれない。
難しいけど、ここは余計な愛情も感情もそぎ落として
相手はどんなふうに私を見るかわからないけど
なめられても、馬鹿にされても、
優しさを持って、笑顔で在り続けようと思う。
いろんな話をして、仲良くなって、好かれたい。という
欲もたしかにあったけれど、もうそういった欲は持たない。
自分の思う優しさを持って、挨拶だけ、丁寧にちゃんとしよう。
あとは一切、相手に何も望まない、期待もしないことにしよう。
来週の京都行きですが、楽しみというか
ちょっと緊張しています。
中学・高校以来、どんな風に感じるのかなと思って。
当時は仏像だのなんだのに、まったく興味のなかった私。
好きな男の子の写真を撮ることに懸命だった私。
どこに行ったのかもまったく覚えていませんが、
唯一覚えていて、好きになったところが
ありきたりですが・・三十三間堂です。
「さんじゅうさんげんどう」の言葉の響きが好きで覚えています。
たくさんの仏像も印象的で覚えているし
ただ単に、手がいっぱいあって、人をいっぱい助けられるっていう
千手観音に感動した、中学生の頃でした。
だから今回は、三十三間堂に行って、昔を懐かしむことを楽しみにしています。
出発は、7月7日の七夕の日です。
友達の命日でもあります。
月食でもあります。
それだけでなんだかわくわく緊張します。
ゲフッ。腹苦しい。
その子の今の、ありのままを尊重したいという気持も存在している。
仕事じゃなければ、いくらだって「ご自由にどうぞ」なのだ。
それに、人を注意したりするのは、自分には不向きだといつも思う。
それなりに、してるけど、とても生ぬるい。
ちゃんとルールがあるのを知っているのに
平気で素通りして、ルールを破る子はたくさんいます。
普段から交流をして、あれやこれやお世話をしてる子でも
平気で無視していきます。
「馬鹿にされてるのかな。」「なめられてるのかな。」と
思うけど、実際そんなことすら、感じてもいないんだろうな。
一瞬にして、私達は空気のような存在になってしまうのだろうなと思います。
そんなもんだな、きっと。
でもなんだろな。。。。
愛とか優しさとかを、与える、与えようと
してたときは、とてもしんどい。
与えた分の、反応を期待してしまうから。
ちゃんと返ってくることもあるけれど、
返ってこないことのほうが多い。
愛とか優しさとかは、与えるというよりかは
存在しているほうがいいのかもしれない。
難しいけど、ここは余計な愛情も感情もそぎ落として
相手はどんなふうに私を見るかわからないけど
なめられても、馬鹿にされても、
優しさを持って、笑顔で在り続けようと思う。
いろんな話をして、仲良くなって、好かれたい。という
欲もたしかにあったけれど、もうそういった欲は持たない。
自分の思う優しさを持って、挨拶だけ、丁寧にちゃんとしよう。
あとは一切、相手に何も望まない、期待もしないことにしよう。
来週の京都行きですが、楽しみというか
ちょっと緊張しています。
中学・高校以来、どんな風に感じるのかなと思って。
当時は仏像だのなんだのに、まったく興味のなかった私。
好きな男の子の写真を撮ることに懸命だった私。
どこに行ったのかもまったく覚えていませんが、
唯一覚えていて、好きになったところが
ありきたりですが・・三十三間堂です。
「さんじゅうさんげんどう」の言葉の響きが好きで覚えています。
たくさんの仏像も印象的で覚えているし
ただ単に、手がいっぱいあって、人をいっぱい助けられるっていう
千手観音に感動した、中学生の頃でした。
だから今回は、三十三間堂に行って、昔を懐かしむことを楽しみにしています。
出発は、7月7日の七夕の日です。
友達の命日でもあります。
月食でもあります。
それだけでなんだかわくわく緊張します。
嘘つきお嬢さんをふたたび血祭りに上げる
[No.541] 2009/07/03 (Fri) 16:39
嘘つきお嬢さんが、また嘘をつきました。
朝から地蔵に血祭りに上げられ涙を流したお嬢さんです。
彼女の悪い癖は、怒られている最中
大人の「怒り」の感情を別のことに向けさせ
自分に向けられる「怒り」を軽減しようと
どうでもいいことをたくさん質問してくることです。
このお嬢さんは、今までもこうして大人を上手く
操ってご機嫌をとり、誤魔化せてきたという自負がある為に
こうして何回も嘘をついたりして、上手く相手の感情をコントロールでき、
その場を凌げていると思い込んでるつもりかもしれませんね。
でも、どれだけ大人が、お嬢さんの浅はかさを見抜いて
あえていろいろなことを黙っていてくれているのか。
大きな器で、見守ってくれているのか、相手の大きな愛の存在に気付かずに
「上手くやれてる」自分に自惚れていつか痛い目をみることでしょう。
いえ、今現在、痛い目をみているのです。
嘘つきお嬢さんは、友達の嘘の肩代わりをしました。
友達の嘘を手伝い、さらに自分も嘘をつきました。
嘘の二重構造です。
『嘘がばれたのは、自分の責任だから
友達は悪くない。友達に迷惑はかけたくない。
だから黙っていて欲しい。』
嘘つきお嬢さんも、そのお友達も、
それが友情だと勘違いをしています。
うすっぺらな友情を守るために、
お嬢さんは、どれだけの人に迷惑をかけているのでしょう。
友情、優しさ、仲間って、なんでしょう。
ルールを守るために、嘘をつく。
なんて矛盾しているんでしょう。
地蔵はお嬢さんに言いました。
「自分の行動に、自分で責任を取れ。」
「嘘をつくな。」
「友達に嘘をつかせるな。」
友達に嘘をつかせる行為は、友情とは言えません。
自分で自分の行動の責任を取らせるのが
友情・優しさではないでしょうか。
大学生になった今、中学生や高校生の時のように
校則があって、それを強制的に守る生活ではないのです。
ルールは、守るためでも、破るためでも
存在しているのではないと思うのです。
それは単に、「悪いことをしない」というだけでなく
自分の行動に自分で責任を持つために存在しているのだと思うのです。
自分の行動に最低限責任を持って生きるということは、
思いやりや優しさにつながるのではないでしょうか。
悪いことをした。
間違ったことをした。
そうゆうことを責めて怒っているわけではないのです。
悪いことも、間違ったことも
人間だれしもしてしまう時だってあるのです。
でも、してしまった時には
その結果を、自分で認め、受け止めることです。
そして次の行動を、自分で考えて決断するのです。
自分で考えて決断し、行動に移したことが
友達に自分の代わりに嘘をつかせることだとしたら
それはどうでしょうか。
悪いこともして、嘘もついて、人に迷惑をかけて、その言い訳もして
「友達の為なんです。」「私を許してください。」「私を理解してください。」
というのは、どうでしょうか。
お嬢さんのつく嘘や、いいわけは
これからなんの役にもたちません。
それにはやく気付いてもらいたいです。
怒るほうも、傷つくのです。
あれだけ怒りキャラだった地蔵が
「もう俺は怒らない。」と言ったころに
嘘つきお嬢さんは、地蔵の誓いを試すかのように
あからさまな嘘をつきつけてきました。
怒らないということは、見放すということではなく
嘘つきお嬢さんが、自分で自分の行動に気付き
自分で謝ることが出来るまで待つということです。
今までは、こちらが気付かせ、謝らせてきたことを
全部自分でさせるのです。どれだけ時間がかかっても。
今ここで、お嬢さんたちはそのことが出来ないかもしれません。
この先、社会に出て気付くかもしれません。
でも、できるならば今ここで、気付いてもらいたいものです。
お嬢さんたちは、いつかきっと大きな宇宙の流れによって
気付かされる時期がくるのではないでしょうか。
私達が、怒りでいっぱいになっていては
それ自体あまりよくない影響を与えてしまいます。
言うべきことを言ったなら、
怒りを手放し、そうして、待つことを
何よりそれが一番に難しいことかもしれませんが
私達は学んでいるのかもしれません。
親と子とか、大人と子供とか
そういった役割と役割で向き合うことでもなく
一対一の、人と人として、向き合う
真剣勝負だと感じます。
それくらい、なんというか、こっちも真剣です。
朝から地蔵に血祭りに上げられ涙を流したお嬢さんです。
彼女の悪い癖は、怒られている最中
大人の「怒り」の感情を別のことに向けさせ
自分に向けられる「怒り」を軽減しようと
どうでもいいことをたくさん質問してくることです。
このお嬢さんは、今までもこうして大人を上手く
操ってご機嫌をとり、誤魔化せてきたという自負がある為に
こうして何回も嘘をついたりして、上手く相手の感情をコントロールでき、
その場を凌げていると思い込んでるつもりかもしれませんね。
でも、どれだけ大人が、お嬢さんの浅はかさを見抜いて
あえていろいろなことを黙っていてくれているのか。
大きな器で、見守ってくれているのか、相手の大きな愛の存在に気付かずに
「上手くやれてる」自分に自惚れていつか痛い目をみることでしょう。
いえ、今現在、痛い目をみているのです。
嘘つきお嬢さんは、友達の嘘の肩代わりをしました。
友達の嘘を手伝い、さらに自分も嘘をつきました。
嘘の二重構造です。
『嘘がばれたのは、自分の責任だから
友達は悪くない。友達に迷惑はかけたくない。
だから黙っていて欲しい。』
嘘つきお嬢さんも、そのお友達も、
それが友情だと勘違いをしています。
うすっぺらな友情を守るために、
お嬢さんは、どれだけの人に迷惑をかけているのでしょう。
友情、優しさ、仲間って、なんでしょう。
ルールを守るために、嘘をつく。
なんて矛盾しているんでしょう。
地蔵はお嬢さんに言いました。
「自分の行動に、自分で責任を取れ。」
「嘘をつくな。」
「友達に嘘をつかせるな。」
友達に嘘をつかせる行為は、友情とは言えません。
自分で自分の行動の責任を取らせるのが
友情・優しさではないでしょうか。
大学生になった今、中学生や高校生の時のように
校則があって、それを強制的に守る生活ではないのです。
ルールは、守るためでも、破るためでも
存在しているのではないと思うのです。
それは単に、「悪いことをしない」というだけでなく
自分の行動に自分で責任を持つために存在しているのだと思うのです。
自分の行動に最低限責任を持って生きるということは、
思いやりや優しさにつながるのではないでしょうか。
悪いことをした。
間違ったことをした。
そうゆうことを責めて怒っているわけではないのです。
悪いことも、間違ったことも
人間だれしもしてしまう時だってあるのです。
でも、してしまった時には
その結果を、自分で認め、受け止めることです。
そして次の行動を、自分で考えて決断するのです。
自分で考えて決断し、行動に移したことが
友達に自分の代わりに嘘をつかせることだとしたら
それはどうでしょうか。
悪いこともして、嘘もついて、人に迷惑をかけて、その言い訳もして
「友達の為なんです。」「私を許してください。」「私を理解してください。」
というのは、どうでしょうか。
お嬢さんのつく嘘や、いいわけは
これからなんの役にもたちません。
それにはやく気付いてもらいたいです。
怒るほうも、傷つくのです。
あれだけ怒りキャラだった地蔵が
「もう俺は怒らない。」と言ったころに
嘘つきお嬢さんは、地蔵の誓いを試すかのように
あからさまな嘘をつきつけてきました。
怒らないということは、見放すということではなく
嘘つきお嬢さんが、自分で自分の行動に気付き
自分で謝ることが出来るまで待つということです。
今までは、こちらが気付かせ、謝らせてきたことを
全部自分でさせるのです。どれだけ時間がかかっても。
今ここで、お嬢さんたちはそのことが出来ないかもしれません。
この先、社会に出て気付くかもしれません。
でも、できるならば今ここで、気付いてもらいたいものです。
お嬢さんたちは、いつかきっと大きな宇宙の流れによって
気付かされる時期がくるのではないでしょうか。
私達が、怒りでいっぱいになっていては
それ自体あまりよくない影響を与えてしまいます。
言うべきことを言ったなら、
怒りを手放し、そうして、待つことを
何よりそれが一番に難しいことかもしれませんが
私達は学んでいるのかもしれません。
親と子とか、大人と子供とか
そういった役割と役割で向き合うことでもなく
一対一の、人と人として、向き合う
真剣勝負だと感じます。
それくらい、なんというか、こっちも真剣です。
眼科へ行きました
[No.540] 2009/07/02 (Thu) 23:09
今朝目がかゆくて、ごしごししたら
真っ赤になってしまいました。ひえーっ。
しかも白目のところが、ゼリー状のものがぷよぷよします。
慌てて眼科に行ってきました。
普段あまり行かない医者に、どうしたことか今週は
皮膚科に、整形外科に、眼科にと、お世話になることとなりました。´`
目薬もらってきましたです。
来週は楽しみにしていた京都旅行です。
しかし、天気予報は雨。ほほほほほほ・・・。
梅雨時期だから仕方ないですね。
とりあえず、新幹線でお弁当を食べるイベントは楽しめそうですな。
さて、今日も一日無事に終えることができました。
お疲れ様でした。
おやすみなさい!
真っ赤になってしまいました。ひえーっ。
しかも白目のところが、ゼリー状のものがぷよぷよします。
慌てて眼科に行ってきました。
普段あまり行かない医者に、どうしたことか今週は
皮膚科に、整形外科に、眼科にと、お世話になることとなりました。´`
目薬もらってきましたです。
来週は楽しみにしていた京都旅行です。
しかし、天気予報は雨。ほほほほほほ・・・。
梅雨時期だから仕方ないですね。
とりあえず、新幹線でお弁当を食べるイベントは楽しめそうですな。
さて、今日も一日無事に終えることができました。
お疲れ様でした。
おやすみなさい!




